第2章 -モラトリアム・スクランブル-
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真っ白いパーカーの少女が目の前で繰り広げられる物語に想いを馳せていた頃、井の頭線某駅。
”文化”という一種の呪いにかけられた全17駅にまたがるこのローカル線に集まった 「何者かに憧れる,何者にもなれない者達」。
今日も終わらない”それぞれのモラトリウム”に取り憑かれる彼らの終電間際を、
観測者−ねこふくろう(一部の人々にはそのように呼ばれているらしい)が、ただただ遠くから見つめていた。
あるものは誰もいない6帖そこらの安全圏へ逃げ込み、
あるものは仲間達とギター・安酒を片手にいつもと同じ「夢」への思いを吐き出し、
あるものは眠らない夜の街へ今日も旅立っていく。
彼らの物語はどんな結末を迎えるのか。
そもそも”結末“とはなんなのか。
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まるで自分だけが世界の被害者であるかのように思えてしまう時がある。
まるで自分だけが世界でただ一人、「与えられなかった人」であるように感じる時がある。
それは、世界の加害者になっていそうな人と自分を比べてしまうから?
それは、世界から私以上に沢山のものを「与えられた」様な人と自分を比べてしまうから?
誰に責め立てられたわけでもないのに、誰に頼まれたわけでもないのに、無意識のすっごく浅めのところで、言い訳と批判を繰り返してしまう。
そりゃ私だって、目の前の人みたいに自由に振舞えたらどれだけ良いか。
「良識的」とされる時間割から離れ、「社会的」である立ち振る舞いを放棄して自分の半径3mくらいの場所の今起きた事だけにしか関心が無いように振舞って、
周りの人間が自分の欲を満たすために存在しているような、権力とか腕力ではない根拠のない特権階級の様な目線を周囲にばらまいて。
好きな様にできてていいな。周りとの違いなんてものともしない様子で居れて、いいな。楽しそう。
別に、私が求めてるものとは違うし、あの子がどうであっても、私には関係ないけど。
私の”好き”は、そんな簡単に見つかるものではないし。
私の”好き”は、そんな単純なものではないし。
私の抱えてる周りとの違和感は、そんなファッションみたいなものではないし。
私とは違うから、あなたになりたいなんて思わないけど。
そりゃアタシだって、人からジロジロ見られていい気はしないよ。
そうよ?好きでやってんのよ?好きな人が好きなものが好きなだけなのよ。
目の前のアタシの事ジロジロ見てる子は、自分がそんな眼を向けられた事が無いからそんな眼を平気で出来るのね。
誰からも批判されなさそうでいいな。
自分自身を引き換えにしなきゃいけないほどのものを持った事がある?
なんだか楽そう。
まあアタシは”普通”になんてなれないし、望んでない。
”普通”じゃないのに何も持ってないワタシを馬鹿にしてるの?
アタシは”好き”でこんな生活してるんじゃないの、アタシの”好き”がこうしないと手に入らないから仕方なくやってるの。
アタシの生活がどれだけ不安か、わかる人なんているはずないのに、好き勝手役にも立たない感想ばかり伝えてくるその他大勢と同じ眼ね。
世界の加害者である事に気が付いていない様な素知らぬ顔で通り過ぎていく。
世界からアタシ以上に沢山のものを「与えられている」事なんて、あんたは一生気が付かない。
まるで自分だけが世界の被害者であるかのように思えてしまう事なんて、あんたには無いんでしょうね、しらんけど。
まるで自分だけが世界でただ一人、「与えられなかった人」であるよう苛まれる夜なんて、あんたには来ないんでしょうね、しらんけど。
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それぞれがそれぞれの想いを抱え、
横断する一本の路線上で交わりながら、
「自分の為の、自分だけにしかわからない物語」を続けていく。
終電間際≦オンライン。第2章 -モラトリアム・スクランブル-